あがり症は治すものではなく、忘れるもの。あがり症が私に与えてくれたこと。
わたしはHSP気質でもあるが故に、あがり症で長年苦しんできました。それは、周りが「大丈夫か?」とざわつくほどです。人前に立つと、手足が震えたり顔が真っ赤になってしまったり、どもってまともにしゃべれなくなることが多々ありました。
しかし、それを治そうと思えば思うほどに、あがり症を自覚してしまうのでどんどん症状が悪化してしまったのです。
今日はわたしが長年苦しんできた「あがり症」への考え方とその対処法についてシェアをします。
予期不安と事後失望
あがり症にはいろんな症状がありますが、主に人前でなにかをするときに異常に人目を気にして緊張してしまう状態です。
例えば大勢の前でスピーチする機会があるとしましょう。あがり症の人は「本番」のビフォー・アフターの緊張時間がやたら長いのです。
ずっとずっと緊張している時間が長いので「うまくいかなかったらどうしよう」と前日不安で眠れなかったり、終わった後も「みんなどう思ったのかな」と考えていつまでも自分にダメ出しをしてしまいます。
緊張に許可を出す
そもそも、緊張したらダメ!と「抑圧」するからこそ余計に拒否反応、苦しみが生まれてしまいます。「緊張してもいいよ」で感情に許可を出すと、肩の力が少しぬけてきます。
幼少期に怒鳴られたり否定されて育った人は自分の感情に「ダメ出し」をする習慣がついてしまっているかもしれません。まずは感情に許可することからはじめましょう。
そして「いつも以上の自分を発揮したい」「人からよく思われたい」といった虚栄心により、自分で自分にプレッシャーをかける羽目となり緊張をことさらに高めてしまっています。
等身大以上の自分を見せようとしてはいませんか?実はあがり症の人に必要なのは、場数よりも人に弱さを受け入れてもらう体験を積むことなのです。
何のためにあがり症になるのか?
「あがり症になりたくてなったわけじゃない!」と思いますよね。しかし「あがり症でいれば、スピーチがうまくいかなかったときあがり症のせいにできる」という目的を自分が握りしめている可能性も実は大いにあります。
また「自分は人前に立つような人間じゃない」という自己否定が根っこにあると、ネガティブな幻想を自分自身が作り上げていることにも気づきにくいと思います。
あがり症や対人恐怖などに共通しているのは「周りはみんな敵」という幻想の中にいることです。「きっと自分は受け入れてもらえないだろう」と思い込むことにより、自分で勝手に周りの人を敵認定してしまっています。
あがり症が与えてくれるもの
あがり症は「生き方の病」とも捉えられます。あがり症はわたしに「周りから見える自分」を切り離し、「自分の価値は自分が決める」と割り切ることの大切さを教えてくれました。
「あがらないこと」を目的とするのではなく、「みんなに何を伝えるか」を目的としましょう。あがり症は自分の見られ方にしかベクトルが向いておらず、自分でいっぱいいっぱいの状態です。人への貢献や共感に意識が向いた瞬間、いかに自分が自意識過剰だったかに気づきます。
あがり症は克服するものではなく、忘れるものです。治そう治そうとすると、あがり症への問題意識が更に強まってしまいます。それよりも自分にOKが出せること、人に弱みを見せて味方を増やしていくことで「安心感を与えること」を意識していきましょう。