【頑張れ!はNG】うつ病や落ち込んでいる人への対応と接し方。
どうも、心理セラピストのあおちゃん(id:kenkowota_ao)です。
他人軸で自信が持てない方の人生に「主体性」を取り戻すサポートをしています。
うつ病の人に「頑張れ」という言葉がけがNGだというのは、よく知られていることですよね。
わたしも、母の2度の鬱の看病をきっかけに、人にも自分にも「頑張れ」という言葉を使うことがなくなりました。
今日は、落ち込んでいる人に対する接し方と背景についてお話します。
- 避けたいのは、相手の気持ちを〇〇すること
- 自分を犠牲にしているから壊れている
- 本人のマイペースを守ってあげる
避けたいのは、相手の気持ちを〇〇すること
うつ病や落ち込んでいる人に対して、どう接するべきなのか・・その困惑する気持ちが、わたしにはよくわかります。
母の「死にたい」を聞く度に、当時のわたしは「そんなこと言わないでくれよ」と思っていましたから。
今のわたしではダメってこと?
落ち込んでいる人をみると、ついつい「もう少し頑張ろうよ」とか「そんなこと言わないでさ〜」とか言いがちですよね。
しかし、ここで気をつけなくてはいけないことがあります。
こういったときに避けたほうがいい行為は、その気持ちを「否定」することです。
一見「励まし」に見えるこの言葉たちには、落ち込んでいる気持ちへの肯定が見当たりません。
気持ちへの寄り添いがないと「こんなに頑張ってきたのに??もっとこれ以上頑張れってこと?頑張りが足りないってこと?」と
まるで責められているように感じ、さらに追い打ちをかけてしまうのです。
頑張れ!は「命令形」だし、本来頑張る頑張らないは「本人の意思」で、人が左右するものじゃないんですよね。
自分を犠牲にしているから壊れている
「早く良くなってもらいたい」には、自己都合が含まれている
こういった言葉がけには相手に「早く良くなってもらいたいから」という思いがあると思います。
もちろんここに嘘はないと思いますし、わたしも自身もそう思っていました。
しかしそれは、実は「その人が元気でいてくれないと自分の不安要素が増える」という自己都合を相手に押し付けている場合が多々あります。
良きパートナーは「泣かないで」とは言いません。
「泣いていいよ」「悲しんでいいよ」と感情をそのまま肯定してくれます。
「泣いた顔より笑った顔の君が好き」と言ってくる人は
「泣かれると自分が困る」「泣かれると面倒くさい」という自己都合が混じっているために、感情を自由に出す環境を与えてくれません。
どちらが居心地がいいかは、想像がつきますよね。
人の期待や都合に合わせて、自分を犠牲にしてきた
誰かの期待や都合に自分を合わせてきたからこそ、壊れているのです。
だからもう、これ以上人のペースに操れてはいけないのです。
それを心がストライキすることで教えてくれているのです。
本人からすると、本当に心の底から「死にたい」と思っているわけではなくその言葉の本意は「死にたいと思うほど、つらい」。
だから、かけてあげる言葉は「それだけつらいんだね」で充分なんです。
自分で自分を散々追い詰めて価値を見失っているのだから、そこに否定や強要、急かすことを連想させる言葉がけは要らないのです。
本人のマイペースを守ってあげる
安心感を提供するだけでいい
勘違いされがちな自己肯定感の本当の意味については、以前説明しましたが
【自己肯定感とは】「ダメな自分でもいっか♪」で、ジャッジしないこと。
自己肯定感が底をついた状態であるが故に、それに必要となる態度は
「どんなダメな自分でも認めてくれる環境」です。
こんなダメな自分でも「いいよ」って言ってくれる人が一人でもいるというだけで、心が落ち着いていきます。
そして「いつでも見守ってるよ、応援してるよ」を伝え続けることです。
本人の主体性を信じて待つ
うつは「黒い部分に蓋をしてきたからこそ起きる不具合」です。
不安の渦に落ちるだけ落ちても、安心できる場所がそこにあれば、本人の感情が昇華できたタイミングで勝手に浮上してきます。
このタイミングをわたしたちが操作してはいけないのです。
「どうにかしよう」とせず、その人の安全基地となることだけを意識してくださいね。
- 相手の気持ちを肯定し共感しよう
- 自分の都合を押し付けていないか考えてみよう
- 操作しようとしない
- 本人の力を信じ、安心を提供しよう