【自己肯定感とは】「ダメな自分でもいっか♪」で、ジャッジしないこと。
どうも、心理セラピストのあおちゃん(id:kenkowota_ao)です。
人生に「主体性」を取り戻すサポートをしています。
今回は、勘違いされやすい「自己肯定感を上げる」の真意についてお話します。
- 自己肯定感とは
- 存在価値がぐらついた理由
- 自己肯定感を上げるために
自己肯定感とは
「ちまたで自己肯定感って流行ってますよね!」
講座をしていると、よくそういう発言が行き交います。
確かにその名前は知っているけど、実際それがどういう意味を持っているのか?については、知っている人が意外と少ないんじゃないでしょうか。
自己肯定感は、生きづらさを抱えた人の根本の問題であるので、ぜひ「流行りモノ」で終わらせてほしくないなと思っています。
存在価値と機能性価値
まず、自己肯定感を決定づける「心の土台」は、「存在価値」+「機能性価値」で成り立っています。
存在価値とは、「何もしなくても、自分そのものに価値がある」と無条件に肯定できる部分です。
それが基盤となり、機能性価値が追加されていきます。
地位や功績、健康やお金、経験や信用、容姿などの「頑張って積み上げていく」ことで肯定できる部分です。
自己肯定感が高い人は、この「存在価値」が図のようにどっしりしているのですが
自己肯定感が低い人というのは、このそもそもの土台となる「存在価値」がぐらついています。
「機能性価値」というのは、「存在価値」があった上での「プラスα」的な要素が強いのですが、自己肯定感が低い人は「機能性価値」でどうにか「存在価値」を埋めようとしてしまうのです。
これがまさに、以下でお伝えした「苦しみを増幅させる頑張り」のことです。
【頑張ることに疲れたアナタヘ】自己否定を強める頑張り方の根っこには、何がある?
世の中の常識として、機能性価値を積み上げることこそが幸せだ!と思っている人が多いのですが、
実は幸せを感じるために注力すべきは「存在価値」の方なのです。
たとえ億万長者だとしても「存在価値」がすっかすかだったら、幸せを感じることがなかなかできません。
どうですか?
自分に置き換えてみて、あなたはどちらの価値の割合が大きいと感じますか?
存在価値がぐらついた理由
親から肯定されなかった
オギャー!と泣き叫んでいた赤ちゃんのときは、誰もが「存在価値」100%。
何もできないし、機能的な価値なんて全く提供できない。
でも、愛されるんです。
しかし、成長するに連れて、いろんなものを親から求められるようになります。
過度な期待や圧力、または無関心など様々な理由から、親から「肯定」されない・・という空虚感、無価値感が膨らんでいく。
すると、その子の「存在価値」はみるみる崩れていきます。
なんで家庭環境が自己肯定感に影響するの?
自己肯定感のことをお話しすると「そんなに家庭環境って、自分の価値に影響するものなの?」と驚かれる方もいらっしゃるのですが、悲しいことにほとんどの場合が親からの影響です。
子供は、弱い立場にあります。親に見捨てられることは、死を意味します。
だから、親に依存して生きる以外の選択肢がないのです。
子供にとって親が「神様」のような存在になるのは、自分の命を守る上で仕方のない構図なのです。
子供の頃から親に肯定され「◯」をつけて育てられた人は、外で見知らぬ大人に「✕」をつけられても少々のことでは動じません。
しかし、家庭内で「✕」をつけられ否定されたと感じて育った人は、外でいくら「◯」をつけてもらっても、自分のことを「◯」とは思えません。
それだけ、神的存在の親が「デフォルト」として刻み込まれているのです。
自己肯定感を上げるために
でも大丈夫です。自己肯定感は、自分次第で変えられます。
しかし、自己肯定感の意味を勘違いしていると、余計に自己肯定感を下げることになるので気をつけなくてはいけません。
ありのままを受け入れること
自己肯定感は、「素晴らしい自分になること」「強くなること」と捉えられがちですが、それは大きな勘違い!です。
これは、先程と同じく「機能性価値」で「存在価値」を埋めようとする行為ですよ。
自己肯定感が高いとは、「ダメな自分でもいっか♪」で、ジャッジをしないことなのです。ここ、全然意味が違いますよね。
ダメな自分でもいっか♪
人間は誰しも「光」と「闇」を併せ持ちます。
短所も長所もあるし、できないことも、できることもある。
ネガティブな感情もあるし、ポジティブな感情もある。
コインの「裏」「表」のように、両方が必要なものだと認められていますか?
それをまずは「バランスよく」受け入れることです。
自己肯定感が低い人は、この「闇」の部分に蓋をしていまいがちです。
「光」にばかりスポットを当てて、自分への期待値を上げすぎている人が多いです。
「ありのまま」を認めるためには、強くなることよりも、「弱さを受け入れること」が必要です。
自己否定する自分すらも、「いいよ」とOKを出すのです。
「ダメな自分でもいっか♪」
ぜひ、これを口に出して言ってみてください。
本当にそう思えるようになると、「何もしていない自分」にOKが出せます。
すると、肩の力がすっと抜けて、事がうまく流れ始めます。
ジャッジをしない
ジャッジとは、「頭」つまり思考の部分です。
心で感じたことに対して、頭が「ツッコミ」を入れて制御しています。
行き過ぎた「〜べき」「〜ねば」といった思考が、あなたの「存在価値」をすり減らしていませんか?
これは、親の価値観をそのまま引き継いでいることがほとんどです。
頭の中で、かつて言われた「呪いの言葉」が駆け巡っていたらハッとしてください。
誰も彼もがあなたを否定していますか?
あなたの存在への否定は、あなたの頭の中だけで加速してはいるものではありませんか?
感情も、性質も、性格も、自分から湧き出るものすべてを、そのまま「観察」してみてください。
つらいときはつらいし、怒れる時は怒れる。それでいい。
ここに「つらいなんて言っちゃいけない」とか「怒らない自分にならねば」なんて、ジャッジいりませんからね。
自分をジャッジしないようになると、人にもジャッジしなくなります。
それってものすごく楽なこと。鎧が取れて軽くなります。
今まで無駄にジャッジしていたエネルギーが、自分の本当に好きなことに回せたら・・自由に生きることの素晴らしさに目覚めますよ♪
- 機能性価値で存在価値を埋めようとしない
- 自己肯定感の本当の意味を理解しよう
- ダメな自分でもいっか♪と言ってみよう
- ジャッジしている自分に気づこう