【過干渉・コントロールする親】気持ちに共感しつつ「ここからはダメですよ」の境界線が必要。
どうも、心理セラピストのあおちゃん(id:kenkowota_ao)です。
人生に「主体性」を取り戻すサポートをしています。
暴力や罵声を浴びて育ったわけではない。
でも「コントロールされてきた」「過干渉な親の言うことを真面目に聞いてきた」。
こういう方の割合が増えていると感じます。
今回は「過干渉・コントロールしてくる親」の背景と、対応についてお話します。
- 過干渉な親に育てられた人の苦悩
- 過干渉な親の間違ったコミュニケーション
- 本当は「つながり」を求めている
- 気持ちに共感しつつもお世話役を降りると決める
過干渉な親に育てられた人の苦悩
主体性を奪われた子どもたち
個別相談を受ける中で、増えてきているのがこの「親の支配下で育った人たち」。
過保護もそうですが、親が子供の問題にすすんで介入してしまうことにより、
本人の人生に立ち向かう「主体性」が奪われてしまうことが問題となっています。
人と人との間にコントロールが生まれると「従う」ことがデフォルトとなり
「自分の頭で考える」ことや「自分の思うままに動く」といったことができなくなっていくのです。
ましてや子供は「親から見捨てられる恐怖」というのを常に抱えて生きています。
生まれた環境に順応していくしか道はないため、他人軸のまま大人になって「生きづらさ」を抱えてしまいます。
過干渉な親の間違ったコミュニケーション
上下関係の関わりしか知らない
なぜ、過干渉になってしまうのでしょうか?
自己肯定感の低さは、家族間で連鎖するよと以前お話しましたが↓↓
【家族間連鎖】自己肯定感の低さは、子供に伝染する?自分から連鎖を断ち切るには。
過干渉な親自身、同じような家庭環境で育った傾向があります。
そもそも上下関係での関わり方しか知らなくて「介入すること」がコミュニケーション、愛情表現であると思いこんでいる可能性が高いです。
親の思考をそのままダウンロードするのが子供なので、こういった連鎖はいい意味で「仕方ないことなんだな」と諦める必要があります。
本当はつながりを求めている
「寂しい」「わたしの存在を忘れないで」
親が子供をブランド品のように「自慢するための道具」として思い通りにさせているケースもありますが、
大人になって離れて暮らしてもまだ異常に干渉してくる場合などは、親自身が「寂しさ」「孤独感」を抱えている故の行動であったりします。
例えば「自分の存在価値を知らしめるために」孫の教育方針に口を出したり。
もしくは、事あるごとに電話をかけ「愚痴の聞き役」で子供に自分のお世話をさせたり。
自分の人生に対する虚無感や、誰とも繋がれていない感覚を「介入」という形でしか表現できていないのかもしれません。
好きなことややりたいことなど、もっと自分の人生に集中してくれたらいいのに・・って思いますよね。
共感しつつも、お世話役を降りると決める
「ここからはダメですよ」
だから、「この人はきっと寂しいんだな」という目線を持つこと。
行動は不適切だけれども、「人とのつながりを求めている」気持ちには共感してあげること。
こちらが視野が広げることにより、すこし楽になります。
ここで一方的に突っぱねてしまうと、相手をさらに孤独に追いやることになってしまうかもしれません。
(なんでわたしの気持ちをわかってくれないの!と反撃してくるかもしれませんね)
気持ちに共感は示しつつ、自分が請け負いたくないことは「嫌です」と言える勇気を持つことが大切です。
長い間、親と「依存関係」にあるからこそ、この境界線は人一倍意識しなければなりません。
(依存関係についてはこちらの記事を↓↓)
【自立とは】依存体質では、自分の人生を生きることはできない。
親は変わらない
「もっとこうしてほしかった」「つらかった」「寂しかった」
過干渉な親を持った人は、もらいたかった愛情がもらえなかったため「未完了の感情」がたくさん溜まっていると思います。
ここで親を変えようと試みがちですが、親を変えることは到底無理です。
そこは苦しいところですが、潔く諦めて「自分が自分の理想の親になる」と決めてください。
自分が本当はあのときなんて言ってもらいたかったのか?
自分が本当はどうしてもらいたかったのか?
ここを癒やしていくことで、自分の中の「わかってよ!!」という承認欲求が落ち着いていきます。
「責めるエネルギー」を「癒やすエネルギー」へ!
無理のない程度で、変換していきましょうね。
- 親の背景にある寂しさを想像しよう
- 気持ちに共感しつつ境界線を意識しよう
- 自分が自分の理想の親になると決めよう
- 責める→癒やすへ変換していこう