家族を亡くして、わたしが後悔したこと。
今週のお題「お父さん」
こんにちは。あおちゃんです。
今日は父の日ですね。わたしの父はというと、5年以上前に亡くなっています。
闘病の末、自分で命を絶ちました。
今、家族に対して何かしら不満を持っているという方。少し耳を傾けてくれると嬉しいです。
当たり前に毎日顔を合わせていた家族が、突然居なくなる
「いつ亡くなるかわからない」と、物心ついたときから医者にずっと言われていたのでそれなりに覚悟はできていたつもりでした。何度も何度も夜中病院に呼び出されて、夜は越せないかもしれないと。
それでも突然の死の知らせに、わたしは頭が働かなくなってパニック状態となり心にぽっかり穴が開き、壊れてしまいました。しかも、自らの手で死を選んでしまったことを、なかなか受け入れられませんでした。
死ぬ直前まで、父とは充分な会話ができておらず、自暴自棄で傲慢な態度の彼をわたしはとても煙たがっていました。だから、父親が亡くなったのは自分がきっかけだったのではないか、と自分を責めて責めて責めまくる日々が長く続きました。どん底でした。
損得で生きることの無価値さに気づく
生きているうちに私達はどうしても「なんでもっとこうしてくれないの?」とか「もっとちょうだいよ!」とか、人からもらうことばかり、考えてしまいがちです。
自己否定していた頃のわたしはまさに、自分の悪いところを見つける天才だったために
同じように人の悪いところや足りないところが目に付いてしまうのでした。
しかし、大切な人を亡くすと「もっとああしてあげればよかった」「こんなことしてあげたかった」と、自分がしてあげたかったことを後悔するということに気がついたのです。
相手からいかに「してもらうか」にばかり意識がいくのは、損得勘定から来るもの。
それを数えて生きることがいかに虚しいことか、無価値なものか思い知りました。
父が亡くなったとき「なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう」「もっと色んな所に連れて行ってあげればよかった」と滝のように「してあげたかった」後悔が湧き出てきたとともに、父の体に触れることさえも長年忘れていた私は、冷たくなった遺体を隅から隅まで泣きながらずっと擦っていました。
家族を亡くした人へ、自分を責めないでほしい
わたしと同じように家族を突然亡くした人へ。自分を責めるために、その人の死を使うのはやめよう。その経験を意味のあるものにするために、わたしたちは大切なものを大切にしよう。
父の死でわたしはたくさんの大切なことに気付かされました。
今目の前にいる人との何気ない時間はかけがえのないものだと理解できるし、本当に大切なものを大切にできないような心に余裕のない忙しい日々はもう終わりにしました。
家族は近すぎるがゆえに、時に距離感がわからなくなったりするけど。恥なんて、そんなどうでもいいものは捨てて。生きているうちにできる限りたくさんスキンシップをとろう。
家族を亡くしたら亡くした重みだけ人生の重みを知っているはずだから、これから先、もっと自分の人生を大切に歩けるはずです。
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