ストイックはおすすめしない。健康のために、不健康になるわけ。
こんにちは〜。あおちゃんです。
健康ブームにより、「ストイック」という言葉を、昔よりよく聞くようになりました。一見かっこよく聞こえるストイックですが、わたしはあまりストイックになることをおすすめしません。ストイックすぎてしまうと、健康のためにやっていることが逆に不健康になることが多いからです。
健康のために、不健康になる?
わたしも、ストイックな時期がありました。体質改善のためにファスティング(断食)をした直後とか。(ファスティング指導していたこともありました)もともとHSP気質なので、その頃は本当〜に、神経質に磨きがかかりました。
・健康のために食べた健康食品でアレルギーが出る
・綺麗になるために努力したのに肌がボロボロ
・騒音から身を守るために、神経質になりすぎてストレスが溜まる
などなど。
最近では、筋肉キャラで有名な庄司さんが痛風を告白されてましたね。
わたしの周りでも、親戚のおばさんなんかは、畑に向かうまで一輪車を引いていたら自分の足をボキボキに折るという大事故を起こしました。わたしの母も畑を頑張っているのですが、川から大量の水を汲んで水やりをしているため、かなりの重労働に右肩を痛めていました。
健康のために始めた畑なのに、怪我で寿命を縮めてほしくないな〜。。というのがわたしの本音ですw
無農薬の美味しいとれたて野菜にありつけるのは本当にありがたいことで素晴らしいのですが、手を抜くべきところはしっかり抜いて、他力に頼るべきところはしっかり頼って、うまくバランスとってほしいなと思うわけです。
ストイックな力強さよりも、しなやかなバランス能力
結局なんだかんだ一番体に一番悪いのはストレス。適度なストレスは、モチベーションを保ったり成長を促したりで必要ですが、過度なストレスは、ガン細胞を増やしてしまいます。ベジタリアンに短命な人が多いのも、ストイックが故の長期的なストレスが原因なのかなと思っています。
人間は時に、何のためにそれをやっているのか目的を忘れてしまいがちです。が、時には立ち止まっていろんな角度から今の生活を見直すことって結構だいじです。
まぁ、ストイックな時期を経てこそその後うまくバランスがうまく取れるようになったりと、 自分の"振り幅"を知ることは、自分のことをより深く知ることになるので、結果オーライ、すべてOKだと思いますけどね。(結局いいんかーい
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食生活は、心の状態を表す。
どうもこんにちは〜。あおちゃんです。
足が悪い、うちのばあちゃん。お昼ごはん何か買ってくるけど、何がいい?って聞くと、ばあちゃんはいつも「いなり寿司で、いい」と言う。(ちなみに彼女は、全くお金には困っていない。)
別にいなり寿司が好きなわけではないのだ。本当に食べたいものを遠慮している。
そんな空気が彼女からいつも出ているのだ。
〜「で」いい。
何気ないその口癖を、わたしもかつては死ぬほど使っていました。
わたしなんて、これ食べてりゃいいのよ
パワハラに合い、婚約破棄に合って、自暴自棄だった頃のわたしの食生活は、今と比べ物にならないくらいそれはそれは鬼凄まじくひどいものでした。(菓子パンオンリーとか、カップラーメンとか)
自分に粗末な食べ物を与える、もしくは暴飲暴食を繰り返すことで、自分の価値のなさを戒めようとしていたと思います。部屋の状態は心の状態を表すってよく言うけど、食生活こそ、それはモロに現れてきます。
元々食べ物に関して興味がないっていう人なら話は別ですが、食べ物をはじめ、生活習慣や言葉に現れる自分への制限や我慢は、自分の中にある「〜してはいけない教」を頑なに守り、強化している場合がほどんど。
・贅沢してはいけない
・自分だけがいい思いをしてはいけない
・わたしごときがこんないいものを食べていいはずがない (ここまでくるとただのドMww)
そしてそれは、ほとんどが幼少期に築いたただの幻想に過ぎないのです。
自分に許可を出す練習を
自己否定は、家族間で連鎖することを知っていますか。生まれて初めて一番最初に気づく人間関係が親で、主に母親の姿を真似て育つのが、子供だからです。
お母さんの口癖を、子供がよく真似ていますよね。大好きなお母さんだからこそ、その価値観やルールをインストールするのは、子供がその環境を生きぬく上でとても自然なこと。 でも、大人になってもいつまでも子供の頃の偏ったルールに固執し続けていると、いろいろと弊害が出て自分を不自由にさせます。その不自由さに、自分が苦しんでしまいます。
もう、誰にも遠慮せず好きなようにやっていいんだよ。いいよいいよイイヨ〜って小さなことから許可を出していく。我慢していたものを解禁してみたり、食べたい!と思ったら今食べてみたり、ずっと食べちゃだめだって言われてきたものを食べてみたり。
そうやって自分の気持にOKを出して解放することで、自分が自分を縛り付けていただけだったんだなぁと気づけるようになってきます。(やっぱりドM‥)
さて、今日は何「が」食べたいかな?
結局ばあちゃんには、特上寿司を目の前に置いて、好きなネタを選んでもらいました。喜んでたw
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家族を亡くして、わたしが後悔したこと。
今週のお題「お父さん」
こんにちは。あおちゃんです。
今日は父の日ですね。わたしの父はというと、5年以上前に亡くなっています。
闘病の末、自分で命を絶ちました。
今、家族に対して何かしら不満を持っているという方。少し耳を傾けてくれると嬉しいです。
当たり前に毎日顔を合わせていた家族が、突然居なくなる
「いつ亡くなるかわからない」と、物心ついたときから医者にずっと言われていたのでそれなりに覚悟はできていたつもりでした。何度も何度も夜中病院に呼び出されて、夜は越せないかもしれないと。
それでも突然の死の知らせに、わたしは頭が働かなくなってパニック状態となり心にぽっかり穴が開き、壊れてしまいました。しかも、自らの手で死を選んでしまったことを、なかなか受け入れられませんでした。
死ぬ直前まで、父とは充分な会話ができておらず、自暴自棄で傲慢な態度の彼をわたしはとても煙たがっていました。だから、父親が亡くなったのは自分がきっかけだったのではないか、と自分を責めて責めて責めまくる日々が長く続きました。どん底でした。
損得で生きることの無価値さに気づく
生きているうちに私達はどうしても「なんでもっとこうしてくれないの?」とか「もっとちょうだいよ!」とか、人からもらうことばかり、考えてしまいがちです。
自己否定していた頃のわたしはまさに、自分の悪いところを見つける天才だったために
同じように人の悪いところや足りないところが目に付いてしまうのでした。
しかし、大切な人を亡くすと「もっとああしてあげればよかった」「こんなことしてあげたかった」と、自分がしてあげたかったことを後悔するということに気がついたのです。
相手からいかに「してもらうか」にばかり意識がいくのは、損得勘定から来るもの。
それを数えて生きることがいかに虚しいことか、無価値なものか思い知りました。
父が亡くなったとき「なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう」「もっと色んな所に連れて行ってあげればよかった」と滝のように「してあげたかった」後悔が湧き出てきたとともに、父の体に触れることさえも長年忘れていた私は、冷たくなった遺体を隅から隅まで泣きながらずっと擦っていました。
家族を亡くした人へ、自分を責めないでほしい
わたしと同じように家族を突然亡くした人へ。自分を責めるために、その人の死を使うのはやめよう。その経験を意味のあるものにするために、わたしたちは大切なものを大切にしよう。
父の死でわたしはたくさんの大切なことに気付かされました。
今目の前にいる人との何気ない時間はかけがえのないものだと理解できるし、本当に大切なものを大切にできないような心に余裕のない忙しい日々はもう終わりにしました。
家族は近すぎるがゆえに、時に距離感がわからなくなったりするけど。恥なんて、そんなどうでもいいものは捨てて。生きているうちにできる限りたくさんスキンシップをとろう。
家族を亡くしたら亡くした重みだけ人生の重みを知っているはずだから、これから先、もっと自分の人生を大切に歩けるはずです。
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結婚しても、出世しても、お金が手に入っても、これが欠けてたら幸せになれない。
こんにちは〜。独身真っ只中のあおちゃんです。
独身でいい歳してると、周りから必ず結婚しないの?と聞かれますよね。なるべく若いうちに結婚するのが「当たり前」だと思い込んでいる人たちはわたしたちみたいに自由気ままな人種が不思議に見えると思います。(放おっておけだ
「何かが手に入ったら幸せ」は幻
結婚していないことに負い目を感じたり、焦燥感を覚えている人は要注意です。
結婚したら幸せになれると思っているということは、結婚できていない自分は不幸せだと言っているのと同じだからです。結婚していない自分はNG。やってしまいがちだと思いますが、これがまさに自己否定です。
世間の常識が正解で、それからはみ出た自分は不正解。そんな方程式を頭の中で作っていないでしょうか。結婚だけに限ったはなしではなく、この方程式を採用していると自己否定が加速していきます。
そして自己否定から生まれる願望は、幸せへの祈りではなく、恐怖から逃れたいという負のエネルギー。負の連鎖を生むことになりかねません。
わたしも散々血迷ったのだ
自己否定の天才だったわたしは、人から結婚について何か言われる度に凹み、散々独身である自分にNGを出しまくってきました。結婚できないわたしの何が問題なのだろう…と。でも今思うと、その「悪いとこ探し」こそが問題でした。ダメな部分を洗いざらい、性格を必死に直そうとして、ありのままの自分を認めようとしない。
負のエネルギーで「条件付きの幸せ」を追い求めていたから、本当の幸せの軸は見えませんでした。
本当の幸せは、付属品ではなく、土台となるもの
条件付きの幸せは、その条件を失うと、不幸せ。それはまるで付属品のようなもの。
それがあるときだけ、一時的なアドレナリンが出ますが、それをいつ失うかわからない恐怖と常に隣り合わせにあります。だから、基本は不安の中にいて心はカラカラ。これだけでは、非常に不安定な状態です。
それに比べて、条件ぬきの幸せは、その人自身に備わった、土台のようなもの。結婚しててもしてなくても、何もなくても幸せを感じられる自分。一旦不安へはじき出されたとしても、またすぐ安心の中に戻れる状態。条件には左右されません。
そしてその条件ぬきの幸せは、自分にOKを出せたその先にあるものなのです。
だから、条件ぬきの幸せをすっ飛ばして幸せを感じようとしても、安定した幸せを感じることはできません。
「これが手に入ったら、幸せ」に囚われるのではなく、「これがあってもなくても、わたしは幸せ」と言える自分であるという状態は自分と向き合うことができれば、どんな人でもいつからでも築くことができるのです。
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運営者 あお
初出掲載:2019年6月20日
セルフヘアカットで、お金と時間の使い道をあらためる。
こんにちは〜。あおちゃんです。
コロナで外出を控えるとともに、セルフヘアカットに初挑戦した!という人も多いのではないでしょうか。
わたしも
・セルフヘアカット
・セルフヘナ毛染め
・セルフネイル
・セルフストレッチ
・プランターで野菜作り
・料理、おやつ作り
など、コロナのおかげでますます「セルフ」の割合が増えてきております。
セルフケアの何がいいかって
利点としては「自分でまずはやってみる」が習慣づくのがいいです。
実際に自分の手でやってみることで、見えなかった視点に気づけたり、自分の向き不向き、好みを知ることができます。「自分で自分をお世話する」感覚が養われ、自分の取り扱い方が変わってきたのも事実です。
また、何でもかんでも人の技術にあやかっていると、自分で育む喜びを取りこぼす可能性があります。 「自分でできること」が増えると、技術料だけでなく、場合によっては時間やストレスを極力減らすことができたりします。
美容院での2時間が本当に耐えられなかった
映画館の2時間さえきつい私にとって、美容院は毎回本当に酷でした。
「拘束されている感」がたまらなくつらい。
それなのに初対面の美容師さんに、希望や要望を正確に伝えるストレス、リラックスできない空間、匂い、雑音。今は1年以上美容院に行ってません。
わざわざ高いお金を払って貴重な時間を捨てていることにストレスを感じていたので、セルフヘアカット、セルフヘナ染めを生活に組み込んだら、ストレスから自分を守ることができました。
お金と時間の使い方はその人を物語る
そうしているうちに、人へ払う技術料を大幅に減らせていることに気づき、減らせた分だけ、食べ物や化粧品など体に取り入れる「もの」をより高品質なレベルに変えられたり、心を育むための「自己投資」に充てられたり自分の血となり肉となるような「身になる」お金、時間の使い方に変化してきました。
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自分が頑張ってもできないことで、その技術料に納得していたり、それが至福の時間であったり、逆に時間を買うことができていれば話は別ですが、もしかしたらこれも自分でできるかもしれない!という気持ちが持てることと、自分が力を入れるべきところ、ぬくべきところの見直しができる今って、本当にいいきっかけなんじゃないかなと思います。
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