怒りに翻弄されていたわたしのストレス・コントロール法
今朝、Twitter村でこんなつぶやきに出逢いましたので、こんなリアクションをしました。
(HSPの働き方について主に発信されているKIKIさん)
そう、突然怒る人のパワーは凄まじい。
わたしも、通り魔殺人のごとく異常に怒り狂った人に出くわしたことがありますが、
心臓がバクバクして寿命が縮んだ感覚になり、ピリピリしたその空間にいるのはなんとも体に悪い!と思ったものでした。
パワーは持ち合わせているのに、使い方が違っちゃっているのは、劣等感や自己否定などの不安に意識をもってかれてしまっているからなのです。
「怒る人」に「怒られる人」。
どちらも経験してきたわたしが、怒りで困っている人たちに向けて綴ります。
父親の怒りを浴びて育ったわたし
あなたの家族に、「怖い人」はいますか?
わたしの今はもう亡き父は、いわゆる亭主関白の頑固おやじでした。平手が飛んできたり、首を絞められたこともあります。いつ機嫌が悪くなるのか予想がつかないので、ビクビクする癖がつき、わたしはいつも周りの人の機嫌を気にしている子供に育ちました。
そんな「怒鳴られる気持ちをよく知っている子供」が大人になったら「父親のようになるまい」と違う道を歩きそうなものです。がしかし、自分も知らぬ間に父親と同じ「キレやすい人」となり、爆発を繰り返すようになります。
かつての職場の同僚からは「あおちゃんはキレると怖い」と言われていたくらいです。確かに、何かある度にそこら中で怒りをいろんな人にぶちまけていました。わたしでも、その当時のわたしとは関わりたくないです。(あの時はごめんなさい)
あのままの状態で進み続けたら、きっと「お局様」なっていたことでしょう。そう、あなたの職場にもいるでしょう?自分でも想像すると苦笑‥ゾッとします。
なぜ怒ってしまうのか
冒頭にも書きましたが、怒っている人は、それだけ自己嫌悪や劣等感で不安の感度が振り切ってしまっていて、恐怖に支配されて怯えている人です。弱い犬ほどよく吠えるって言いますよね、あれです。心が弱くなっています。
ここの背景を知っていると、怒っている人に対して少し冷静な目を向けることができるかもしれません。あ、この人何か大変なんだろうな、と。
また、「怒る人=相手を攻撃している」ということばかりにフォースが入ってしまいますが、実は怒る人というのは、自己防衛のつもり(=正義感)で怒っています。自分の大切なものだったり価値観だったりを、崩されたくない。自分の中のルールを頑なに「守ろう」とする力がものすごいのです。
だからいつも「自分が正しい」と思っている。みんなそれぞれに「正しい」の基準は違うということと、正しさの押し付けがトラブルを生むということに気づけたら、変われます。
怒ることは悪いこと?「怒っちゃいけない」の呪縛
一方で、外国人の人達からすると、怒りを出さない日本人が不思議に見えるようです。とある講演会で、アメリカ生まれの夫人が「日本人の女性はもっと怒りを表現した方がいい」と言っていました。
彼女らは、怒りを自己表現のひとつだと思っています。怒りを表現できない人は、自己主張ができない人だと思われるほど。バーンと出して軽やかに(これが大事)終わる。一寸先には覚えていない。その潔さが一番バランスが良いのです。
「怒ってはいけません」「泣いちゃダメでしょ」
そんな教育を受けてきている私達は、「怒ることは悪いこと」だと思い込んでいることが多いです。突然怒鳴ってしまう人も、怒りを表に出せない人も、実はこれが共通点として挙げられます。
怒鳴ってしまう人も本当は、怒りをコントロールできない不器用な自分をどうにかしたい。いつも怖い父親が酔った勢いで泣きながら、そんな弱音を母に吐いたことがあるそうです。
また、怒りを溜め込む人は、その場で無難にやり過ごす代わりに、自分でも気づいていない怒りがずっと腹に残り続けていることがあります。鬱になったことのある、人のいい母がまさにそのタイプです。どんだけ前の話よ?!っていうような父の悪口だったり(もうとっくに亡くなっているのに)、数年前の出来事に対して突然掘り返していたり。ネチネチ長引きます。
つまり、人に迷惑をかけまいとするあまり、怒りをその場できちんと消化できていないのです。怒りに対して、時差が生まれる。これもまた、癌のように体に残り、非常に厄介です。
感情は、押さえつけてはいけない
怒りは「二次感情」と言われます。一次感情と言われる「悲しい」「寂しい」「つらい」などの奥底に眠っている本当の気持ちを、素直に直視、表現できていれば、相手にきちんと建設的に話し合いで伝えることができます。
わたしが体調を大きく崩してヒステリックになっていたときも、心の奥底では「こんなにつらい状況のわたしの気持ちをわかってほしい、寄り添ってほしい」という気持ちで溢れていました。
そこで大事なのは「自分が自分をちゃんと見てあげること」なのです。
肯定できるようになろう
怒りの小出し
怒り自体が悪いのではなく、怒りを溜め込んだりまき散らすことが良くない。なので、「小出し」にするように心掛けます。怒れることがあったら、その都度メモに書くなり個室で大声を出すなりして吐き出す。私がよくやっているのは、「車内で汚い言葉を連発」です。その時消化できなくても、寝る前に必ず1日分の「感情の整理」をしてから寝ること。自分を納得・落ち着かせてから寝ると、睡眠の質が格段に上がります。
アフターフォローをする
もしも怒鳴ってしまったりしても、大丈夫です。「怒ってごめんね」が言えるようになったら、相手への罪悪感も減るし、相手からの印象も少し変わります。プライドが邪魔をしてしまうかもしれませんが、負けを認めるという意味ではなく、届けたいのは「こんな伝え方でごめん」です。
喜怒哀楽は人間らしさ
ロボットのように、何もかも一定になってしまったら、人間味が感じられません。不自然な完璧を目指すのではなく、自然な不完全でいきましょう。それでわたしは、感情豊かな自分が愛おしいと思えるようになりました。
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怒鳴り散らすことも、我慢することも、本当はとっても燃費が悪いこと。円満な関係をゴールにしていれば、話し合いに怒りは不要だと気付く時が来ると思います。時間がかかるかもしれませんが、自分と仲良くなれるいい機会だと思って根気よくいきましょう。