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自己肯定感を上げるメンタルケアブログ

うつ病の母が欲しかったのは「頑張れ」じゃない。相手を否定してしまいがちな言葉がけの危うさ。

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あお|心の

 健康おたく

どうも、HPS気質の心理セラピストあおちゃん(id:kenkowota_ao)です。


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先日、Twitter村でこんな投稿に出逢いました。

 

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ギャンブル依存症の過去を持つココトモハウス管理人のジョジョさん

https://twitter.com/giogiozone

 

いいねを10万回してしまいそうなほど、共感しました。というのも、わたしは、母の2度の鬱をきっかけに、人にも自分にも「頑張れ」という言葉を使わなくなったのです。

 

今は元気すぎて困っちゃうくらい活き活きと復活できた母ですが、母の鬱を支えていたときに一番感じたのが、この「頑張れ」を始めとする一見前向きなようで相手を否定してしまいがちな言葉がけの危うさでした。

 

身近な人が落ち込んでいたり、自分が鬱になったりしたとき、ぜひこの話を参考にしていただきたいなと思います。

 

 

頑張ることがデフォルトの世の中に違和感

 

芸能人の不倫騒動の謝罪会見とかでよく、ワイドショーに出ているタレントや一般主婦の本来直接「関係ない」人たちが「頑張って更生してほしいです」と言っているのを見ると、どの立場で言ってるんだろうと違和感を感じることが多々あります。

 

「頑張ってほしい」という言葉には、私達と同じように頑張ってくれないと私達が困る、といった道ずれに似た期待が孕んでいます。「頑張る」の主語はその本人であるため、Twitterの投稿の言葉ごとく、頑張るか頑張らないかはその人が決めることで外野が口出しする領域ではないと、わたしも常々感じているのです。

 

それが当たり前に言葉がけされるようになったのも「頑張ること」を義務づけられた環境で育ったからに他なりません。

 

うつ病は、ガス欠の状態

 

うつ病患者には「頑張れ」と言ってはいけない。その理由は、もう散々頑張りすぎた故に壊れたからです。ガス欠状態だから走れない。ガソリンが必要なのに、それでも走れと言われたら、さらに頑張りを強要されていると感じ、さらに症状が悪化してしまいます

 

うつ病は心のストライキ。一旦止まってほしいから、体が強制終了をかけるのです。うつ病で一番必要なことは、すべてをストップして休むことです。

 

わたしの母も、いわゆる「頑張りやさん」でキャパオーバーになっていました。朝から晩まで忙しく動き回り、自分の時間が全くない状態だったと思います。母もわたしと同じく軽度ですがHSP気質があり、当時はNOが言えない断れない「誰にでもいい顔をしている人」でした。

 

とことん落ちるところまで落ちたいのが鬱

 

一番最初におかしいなと思ったのは、家へ帰宅したとき。昼間なのに電気もつけず真っ暗闇のリビングに無言でいたことでした。うつ病はすべての情報をシャットアウトしようとします。自分の内側に集中するためです。だから、光も人も音もご飯も、何もかも受け付けなくなります。

 

この時から発する言葉が「死にたい」「わからない」「眠れない」だけになりました。

鬱になると、「在るもの」ではなく「無いもの」にばかり目を向けるようになってしまいます。1日中無いもの探しをしています。

 

1度目の鬱は、わたしの思春期と被ったので、それはそれでとても大変でしたが、2度めの鬱で厄介だなと感じたことは、SNSがあることです。今までのルーティーンを受け入れなくなった代わりに、「自分には価値がない」と裏付けるための情報をネットで自分から取りにいくのです。そこに全エネルギーを使って自滅して疲れ果ててしまいます。

 

母の場合は半年ほどで回復したので、他の方に比べたら早い方だとは思いましたが、毎日毎日話しかけても全く返答がなく「これとこれ、どっちがいい?」と聞いても無言で無反応が続いた時は、正直わたしも一緒におかしくなりそうな感覚ありました。焦りからくる心の余裕のなさから、母に対して「どうしたいの?!」とキレてしまった記憶があります。

 

でも、回復するためには「本人の気の済むまで」落ちるところまで落ちることが大事でした。落ちることを許さなかった今までの精算をしているのだから、ちることすらも、きちんと肯定してあげる作業が必要なのです。

 

否定ではなく、欲しいのは安心感

 

うつ病や落ち込んでいる人へ、どう接するべきなのか困惑する気持ちがわたしにはよくわかります。当時わたしは、困惑しまくっていたからです。「死にたい」という言葉を聞くと、ついつい「死にたいなんて言わないで」とか「そんな事言わず頑張ろうよ」とか言ってしまいがちですよね。その人に早く良くなってもらいたいと思うからこそです。

 

でも、これは実は自分の都合を相手に押し付けているに過ぎないのです。その人が元気でいてくれないと、自分の不安要素が増えるからです。今まで散々人の期待や都合に自分を犠牲にしすぎてマイペースが崩れて壊れているのだから、もうこれ以上人のペースに操られてはいけないのです。

 

本人からすると、本当に心の底から死にたいと思っているわけではなく、その言葉の本意は「死にたいと思うほど、つらい」なのです。だから、かけてあげる言葉は「それだけつらいんだね」で充分なのです。

 

自分が自分に散々否定を繰り返して価値を見失っているのだから、そこに否定や強要、急かすことを連想させる言葉は要らないのです。余計に今のままではダメってことなんだ、変わらなくてはいけないんだと感じてしまいます。

 

でも、こんなダメな自分を認めてくれる人が1人でもいるというだけで、心が少しだけ落ち着きます。だから、変わらずただそばにいること。そして「いつでも力になるよ、見てるよ、応援してるよ」を伝え続けることだけが、わたしたちにできることなのです。

 

安心感を生み出せる人になろう

 

母の鬱の経験を経て、より一層「わかってほしい」に寄り添うことの大切さを思い知りました。不安の渦に落ちるところまで落ちても、安心できる場所がすぐ傍にあれば、勝手に本人のタイミングで浮上してきます。そのタイミングも、わたしたちが操作してはいけないのです。

 

母はもともと人の考えを絶対に否定せず肯定する人でした。それが、わたしにとってものすごく安心感で尊敬する部分でした。しかし、母が鬱になる前には、わたしを含めいろんな人が母に対して自分の考えを強要するところがあったのかもしれません。母の鬱によって学びを得たのは、私のほうでした。

 

親子であれ恋人であれ夫婦であれ、みんな日々の会話で欲しいものは正解ではなく、安心感なんだとわかったこと。社会や時代がどう変わっても、家の中で自分がその安心感を提供し続けようと決めたのは、この経験のおかげなのです。

 

あお|心の

 健康おたく

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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